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読書記録を中心に日々の生活で考えたこと、思ったことを書き留めていこうと思います。

当たり前を疑え「82年生まれ、キム・ジヨン」

私は女である。

私は30歳である。

私には娘がいる。

 

だからなのか、この物語にたくさんの胸に響く言葉があるのは。

 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

 

この本は、現代の韓国における女性の立ち位置についてがよく分かる一冊ではないだろうか。

私は隣の国だけれど、韓国の歴史はほとんど知らない。高校生の頃家族でチャングムの誓いにどハマりしたし、初めての海外旅行はソウルだった。けど韓国について知ろうとしたことはほとんどない。

この本を手に取る直前に、ブレイディみかこ氏の「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んでいたので、その影響で、差別だとか社会問題だとかそんなものに興味があったのだとも思う。

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

とにかく、韓国に対する女性の地位など何も知らないまま読んだ。

 

私が1番ぐっときたのは

母は、キム・ウニョン氏の空いた机につっぷして泣いた。まだ若いのに家から出すんじゃなかった、ほんとに行きたい学校に行かせてやればよかった、私みたいなことをさせるんじゃなかったと言って。娘がかわいそうなんだか、若かりし日の自分がかわいそうなんだかわからない。

という部分。母の気持ちが痛いほどに分かる。自分の子どもに自由に生きてもらいたいと思いながら、自分が希望を押し付けて子どもを縛ってやしないかという葛藤。そして私自身の後悔を子どもへの後悔とないまぜにしてしまうところ。なんだか将来の私を体験しているようで、もしかしたら母さんもこんなこと思ったこともあるんだろうかとも考えて、胸がつまった。

 

自分が不当に扱われていたとしても、まわりがみんなそうなら気づかない。気づいても、きっとみんなそうだからと思って、自分の中で折り合いをつけて耐える。でもどんなに些細でもチクっと心に刺さった言葉に自分が正直であることが大切なんだろう。そのチクっと心に刺さった小さな棘がこの文章の至る所にあった。日常として流されそうなその棘たちを、改めて言葉にして、ストーリーにして、表出してもらったおかげで、私は棘に気づけた。

韓国と日本、違うところの話だけれど、その深くに通じるものはあると思う。「女」だからというよりは、女でも男でもどこに住んでいようとも「棘」には出会う。女だから分かるでこの本を片付けたくはない。「棘」に出会った時にどう行動すべきか、「棘」に苦しんでいる人がいたらどうすべきか、もっと大きな括りでみんなで考えていきたいものだ。

 

すぐ目の前に見える効率と合理性だけを追求することが、果たして公正といえるのか。公正でない世の中で、結局何が残るのか。残った者は幸福だろうか。

私は残った者にも残らなかった者にもなりたくない。効率と合理性ばかりで動くのではなく、優しい何かが世の中に溢れていてもいいんじゃないか。

 

 

子どもたちが寝静まった後のティラミスと白ワインとともに 2019/11/22

 

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