女ってめんどくさいよなあ
かなり久しぶりの更新になってしまいました。4月に入って育休復帰をしてバタバタと日々を過ごしていました。それとは別に性分の三日坊主癖が出てきまして、ブログを書くという行為に面倒くさみを感じ、後回し後回しにしていました。
特にここ数年、考えて文章で伝えるということをしてこなかったので、自分の考えを言葉に表すのにとても時間がかかるのが原因かと感じています。ただ、復帰していざ仕事を始めるとたった数ヶ月していた、ブログで自分の考えをまとめること、ツイッターで読書感想を要約して伝えることなどの行為が役に立っていることを実感しています。
亀の歩みになると思いますが、これからもじっくり腰を据えて自分の考えを伝える行為をしていこうと再決心して、今日ブログを書き進めることにしました。
さて、前置きが長くなりましたが、ここから本題です。瀧羽麻子さんの「女神のサラダ」を読みました。
読んで私が思ったことを取り留めもなく書いてみようと思う。
人生には、いろんなしがらみがある。仕事、結婚、家、家族、友人関係。自分がその時その時で選んできたことなのに、選んだはずなのに、どこか息苦しくなっていく。年を取るごとにレールが固定され、電車は終電まで降りることも出来ずに走っていく。
「ジェットコースターみたいだよね」私が結婚を決めた時にいわれたことがある。それまでお付き合いしたことがなく、初めて付き合った人と1年あまりで籍を入れ、すぐに子どもができた。結婚も、子どももいつかはと思っていたけど、いつのまにかどんどん進んでいき、いつのまにか家まで建っていた。後悔しているとかではないのだけれど、立ち止まって考える暇もなく突き進んでしまったとは思う。あまり頼る人もない旦那の田舎に越してきて、喧嘩しても出て行く先もなく、海を眺めにいった。そのうち海は慰めになり、好きな景色ができ、「喧嘩したら海見に行ってたんよ」「私も」と笑って言えるママ友ができた。
自分が選んだものを、振り返ってみて、受け入れることができるかどうか。受け入れられると楽になるし、元気になるし、頑張れる。
「置かれた場所で咲きなさい」という本を思い出す。昔に読んで、内容はほとんど覚えていないのだけれど、そのタイトルを思い出すことが最近多かった。自分の置かれたこの環境で花を咲かすとはどういうことなのか。大それたことをしたいとも思った。地方新聞に載るくらいのことできないかなあとも考えた。でも、結局大事なのは、日々の暮らしを大切に生きること、そして好きなことをすること、我慢しないことだよなあ。
目の前にはいつのまにかちょっとめんどくさいことが山積みになっていることがある。ちょうど起きるのが億劫な日曜日の昼寝の後のように。そこをよいしょと、少しの力を入れて前に進んでみると案外予想していたよりも良い方向に転がるのかもしれない。
そんな気にさせてくれる物語が詰まった一冊でした。
2020/05/04
昼寝ドライブ中の車の中で(駐車してます笑)