人間らしさって何だろう
新井紀子さんの「AI vs.教科書が読めない子どもたち」を読みました。
私はAIについて何も知らなかったのだということが分かった。
シンギュラリティ、最近よく聞く言葉。分かっていなかった。AI自身が、自分よりも高度なAIを作ることが出来た時=シンギュラリティの到来だそう。そして、そのシンギュラリティが来ることは近い未来ではあり得ない。
なぜなら、AIは今のところコンピュータつまり、計算機に過ぎないから。じゃあ、私たちは計算機に負けるのか。
驚いたAIの仕組み
私はAIが計算機であるという、よく考えてみれば分かることすら忘れていた。だって最近の技術の発達がすごいから。
siriに始まり、アレクサなど声を掛けたら瞬時に判断してくれる機械たち、GUやユニクロのレジは今や商品を置くだけで勝手に合計金額が表示される。まるで意思を持っているかのよう。そう錯覚してしまう。
でも実際はすべての事柄を数式に置き換えている。論理、統計、確率という、数学的手法を使って。
すごくないか。今この文字を打っているスマホの画面はたくさんの数式の集まりなのか。技術がすごすぎてついていけない。そこを考え出したら深みにはまりそう。行列を高校で習わなかった私には理解が追いつかないだろう。
単純に、AI技術の凄さに驚いた。
AIに仕事を奪われるのか
じゃあAIに出来ないことってあるのだろうか。あるある。計算機にできないこと。数字に置き換えられないこと。それは高度なコミュニケーション能力であり、人間らしい柔軟な判断であり、人間が当たり前にもっている(ただAIには当たり前じゃない)常識である。それらをうまく運用していくために必要なのが読解力だ。
その読解力が無い子どもたちが増えているという。本著で読解力を測るためのテスト、RSTの問題が出てくる。私はふつうに間違えた。いや、全部間違えたわけではないが。でも、全問正解でもなかった。読解力が無いのはどうやら子どもだけではないらしい。私にも無い。
読解力が要
読解力をつけるために何をすればいいのか。実は本著では明記されていない。ただ、著者の言葉がこころに引っかかった。
多読ではなくて、精読、深読にヒントがあるかも。
なるほどなあと思った。私が苦手なところである。例えば、高校の日本史の文化史に出てくるような本、開いてみてもまともに頭に入ってこない。渋沢栄一の「論語と算盤」を買って読んでみようと思って、止まっている。これをしっかり肝を据えて読んでみることから始めよう。速くなくていい、しっかり読み込んでみようっていうのは頑張り甲斐があるし、速読を習うよりもっと大事なものを得られそうな予感がひしひしとする。
AIにないものを育てる
本著の中で、「リアリティのある子ども」という言葉が出てくる。デジタルの中で生きるんじゃなくて、あくまでも人間らしく生きたいと思う。リアリティ、現実味。つまりデジタルの中じゃなくて、今のこの現実世界に生きている私たち。
現実だからこそ、効率の良さだけを求めて生きていくことは困難だ。嫌なことを切り捨てるのじゃなく、時には情に流され、絆され、泥臭く、ウェットに生きていくのがリアルなんじゃないか。人間味なんじゃないか。と私は思う。
そのためには、言葉を覚えてテストで良い点を取るのではなく、中身を理解して社会を生き抜くことが大切だ。そういう気持ち、ずっと持っていたいと思う。
2020/02/05
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