学ぶということ
池上彰 佐藤優「教育激変 2020年、大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ」を読みました。
大学入試、といえば世間で、地域格差、経済格差が騒がれて、新テスト導入が先送りにされたばかり。ニュースで掻い摘んでしか情報を得ていなかった私は、確かに、格差あるなー、なんでセンター試験なくすんだろう、くらいにしか思っていなかった。
なぜ今変える必要があるのか、は議論の中心になっていなかった。でも、本著を読んで分かった。今改革を進めなければならないと行動した意味が。
私がこの本を読んで思ったのは、2つの危機感である。1つは教育についての危機感、もう1つは自分の教養についての危機感だ。
教育危機の回避に向けて〜アクティブラーニングと宗教教育
教育について、なぜ今改革なのか。背景にはAIがある。AIが急速に発展している今は、まさに新時代の幕開けだ。新しい時代の中で生きていくには、これまでにない力をつける必要がある。これまでにない力、それは自ら学ぶ力である。教師から生徒への知の伝達ではその力はつかない。人との関わりの中で自分をしっかり持って学ぶ姿勢が今必要とされていると理解した。アクティブラーニングである。学びの姿勢を育てるための改革なのである。
ポイントはAI時代の到来。でも、今私が片田舎で生きていて、新しい時代を生きてる感を感じている人はかなり少ないと思う。だからピンと来てない人が多いんじゃないのか。
10年後がどうなっているか予想できない時代。そんな時代を生きていかねばならない私たち、子どもたち。そんな我々が少しでも明るい道を歩いていくために「自ら学ぶ(=アクティブラーニング)」ことが大切なのだと思った。
また、もう1つ気になった話題が宗教教育である。「宗教のことはよく分からない」では済まされない時代になっているというのだ。例として、オウム真理教の例がかなりのページを割かれて議論されている。
その中で、宗教教育で必要なのは、「例えば『キリスト教カルバン派の人たちからは、世界はこう見えている』といった視点」であると語られる。これには、なるほどなあと唸った。
宗教を知るということは、自分の考え方、社会の見方とは異なる方法を知ることなるのか!と。つまりは、宗教を知ることで相手の考え方を知り、多角的に世界を知ることができるのではないか。
そういう視点を持つことは、対話を大事とするアクティブラーニングにも繋がると思う。
自己の教養についての危機を回避するためには
もう1つの危機感、自分の教養のなさである。池上彰さん、佐藤優さんの対談を読んでいると否が応でも突きつけられる。実際に私も、大学に入った途端にほぼ学ぶことをやめたことを。大学に入ってから本を前ほど読まなくなった。もちろん卒論などは頑張ったが、教養を身につけていったかといえば、否である。
佐藤優さんが、大学生の教養のために活用しているのがセンター試験問題、高等学校卒業程度認定試験の問題、地方公務員上級試験問題。
試しにウェブ上で探してみてちらっと解いてみたのだが、ほとんど解けない。明らかに私の教養は18歳を境に後退していた。これは本当に悔しい。何のために勉強したのか。なぜ勉強をやめたのか。やめると人はこんなにも忘れるのか。
上の宗教教育にも関係して、とりあえず私はもっと思想とか宗教とかそういうのを学び直したいと思った。手始めにどうしたらいいかと思い、高校の倫理の教科書を買ってみた。
そういえば私は高校時代「現代社会」選択。「倫理」「政治経済」未履修。倫理の教科書は初めてなだけに、恥ずかしながら少しわくわくする気分である。
あとは理系科目。ただ苦手意識があるだけにこちらにはなかなか触手が伸びない。どうしたらいいのだろうか。齋藤孝さんの「読書する人だけがたどり着ける場所」で紹介されていた理科読から始めようか。
学校だけではない、一生涯「自ら学ぶ」、いや「自ら学び続ける」ことが大切ですね。
2020/01/11
深夜こたつの中で